有里知花「広州演唱会」その6
2005-03-25
有里知花「広州演唱会」その6
3月17日(後編)
街の小奇麗な食堂で打上げ。
1階にはまるで水族館の様に水槽が並んでおり、その中で様々な魚が美味しそうに泳ぎ回っている。
奥には何とウサギが。
たまに覗くと、やはり確実に数が減って行くのだそうだ。
という事は・・・?
宴に集ったのは、何もかも初めて尽くし故の様々な障害を乗り越えてコンサートを成功させた現地スタッフや同行スタッフ、孫さんチーム、バイトの学生君達など総勢30名余り。
ありとあらゆる広東料理がこれでもか、これでもかと運ばれてくる。
安堵感と高揚感の中、これは大盛上りしないはずがない。
特に総合プロデューサーのU氏、役所関係の対応に当たったN女史の感激はひとしおだったろう。
帰り道、閉店間際のCD屋に駆け込んで音楽DVDを8枚ゲット(7枚買ったら1枚オマケ!)。
満腹感が恨めしいほど魅力的な屋台を横目に見ながらホテルへ戻ると、例の売店前では小さな椅子を並べて中山大学の学生達が酒盛り中。
やたらと元気がいいのは韓国からの留学生だ。
もの凄いエネルギーにこちらのアドレナリンも刺激され、あきれ顔の警備員に注意されながらも深夜の国際交流バトルは延々と続く。
売店のおやじも今夜は機嫌がいいのか、結局明け方まで店を開けていた。
ある意味で、ここは日本よりも自由な街なのかも知れない。
DVD購入に関して詳しく書く事は出来ないが、バンド名とミュージシャン名だけは幾つか紹介しておこう。
「飛鷹楽隊」(EAGLES)、「南方小鶏」(DIXIE CHICKS)、「艾麗森・克蘿絲」(ALISON KRAUSS+UNION STATION)、「黒色安息日楽隊」(BLACK SABBATH)、「艾兩斯」(ALICE COOPER)・・・・
Phoooh!!
有里知花「広州演唱会」その5
2005-03-24
有里知花「広州演唱会」その5
3月17日(中編)
本番前のリハーサルではサウンド・チェック、曲順と段取り確認を簡単に済ませ、ゲスト出演の中国の若手歌手「孫笑一」君との絡みに時間を費やす。
そしてランスルーの後いよいよ本番だ。
反応はどうだろう・・・?
きっと日本人より静かに、じっくりと耳を傾けてくるんだろう・・・
ところが、最初にバンドが登場した途端場内割れんばかりの拍手と歓声。
長めのインタールードから1曲目のイントロに入り知花ちゃんが登場すると、もう会場の興奮は最高潮に。
そして2曲目、ここで事件が起こった(起こした?)。
暗転で譜面も曲順も見えない。
リハーサルでの確認不足だ。
珍しく頭の中が真っ白に。
そして、事もあろうに3曲目のイントロを弾き出してしまった・・・
やり直し!
続いての事件は、あと2曲を残すのみとなったハイライト直前に。
転調時のカポ装着ミスで開放弦が使えず、アコギ1本になるパートがボロボロ。
知花ちゃん、バンド、スタッフの皆さん、そしてお客さん、ご免なさい。
・・・そして遂に今日最大の事件が発覚した。
舞台監督H氏の買ったばかりのPower Bookが、本番中ステージ袖から忽然と姿を消したのだ。
あれだけスタッフが歩き回っている中での出来事だった。
しかし、コンサート自体は予想以上の盛上りの内に終了。
大成功だ。
知花ちゃんは感激のあまり涙を流して泣いている。
実質千人近い入場者数。
ただ、何十人もの公安に入場を阻止され、まだ空席があったにも関わらず入場出来ないお客さんが外には相当数残っていたらしい。
どうやら「七百人以上は絶対に入れるな」という事だったようだ。
広州史上初の外国人コンサートという事で当局がナーバスになっていたのも分からないではないが、街を往来する学生や人民達(Beggarも含めて)のパワーと自由さに比べて何と社会システムの硬直していることか。
これは今回、空港や銀行といった公の場所でも必ず感じた事だ。
・・・社会主義に憧れた若い日の思い出が、悲しく脳裏をかすめる。
Phoooh!!
有里知花「広州演唱会」その4
2005-03-24
有里知花「広州演唱会」その4
3月17日(前編)
8:30朝食。
今朝は飲茶だ。
「食は広州に有り」とはよくぞ言ったもので、飲茶に限らずとにかく食べ物が美味しい。
油っこさが全くなく薄味に仕上げてある為、食材の魅力をそのままダイナミックに味わえるといった感じだ。
火力のせいか、野菜の彩りも抜群。
そして想像以上に豊富なメニュー。
足掛け5日ではとても全てを食べ切る事は出来ないだろう。
朝は軽く、昼はじっくりと時間をかけたっぷりと、そして夜は軽くというのがこちらの習慣だそうで、そう言われれば昨日のお昼に食べた広東麺(?・・・通訳の明静さんがなんと言って頼んだのか分からないが、レタスのたっぷり乗ったあっさりシコシコ塩ラーメン)の量はとても食べ切れる様なものじゃなかったし、他のお客さんのテーブルに並んだお皿も半端な量ではなかった。
それでも太った人をほとんど見かけないのは何故?
どこでも必ず出る鉄観音茶のおかげ?
音響さんと照明さんが通訳を介しながら、現地のスタッフと中国ならではの不完全な機材(卓のインサートは全滅だったとか・・・!!)を最終セットアップしている間、バンドの4人は14:50までフリー。
マイクはベッドになだれ込み、大ちゃんと結ちゃんは校内~街を散策。
その隙に昨日までの日記を書き上げ、アップ。
もちろんホテルは、全室ネット繋ぎ放題だ。
それにしても新しい iBook G4 は素晴らしいぞ!
たったの3年でこれだけ機能がアップして、しかも値段はほぼ半分。
あのサクサク感がたまらない。
ウチのiBookもそろそろ買い替えようかな・・・。
Phoooh!!
有里知花「広州演唱会」その3
2005-03-24
有里知花「広州演唱会」その3
3月16日(後編)
午後、有里知花が地元TVの取材を受けている間、無事に合流した相部屋のマイクと2人チンタオビールで乾杯。
19:00からのセッティング/回線チェックが始まるまでは、昨夜の彼の体験談を聞きながらの果てしなく続く爆笑タイムだ。
羨ましい程ミラクルなこの体験こそ、正にWonderland in China!!
以下はマイク談(要約)・・・
領事館の手続きを翌日に控え空港脇のホテルに着くまでは流石のマイクもしゅんとする程「強面」だったのに、スウィートルームの様な豪華な客室にマイクを監禁して鍵を閉めた途端ビールを飲みながらけたたましい声を張り上げ、半ば本気でトランプ博打を始める屈強な監視員の3人。
「美味しい、美味しい」
と虎の子のセブンスター2箱をすべて吸われ、眠いからと言ってやっとのことでベッドに逃げ込むマイク。
それでも3人がうるさくてなかなか眠れない。
朝まで続く喧嘩のごとき会話、ビールを開ける音、興奮してテーブルを叩く音、振動でビール瓶が立てるガラス音。
ワイワイガヤガヤ、シュポッ!・・・ガイヤガイヤ、バシン!・・・カキ~ン、カタカタゴトンゴトン・・・ワイワイガヤ、ドタンバタン・・・シュポッ!・・・
「ヘイ、ミスター!ウェイク・アップ!イッツ6オクロック・イン・ザ・モーニン。ヘイ、ミスター!ウェイクアップ!」
朦朧とした意識の中でシャワーを浴びていると、腰を屈めてマイクの下半身を覗き込みながら再び声高に何やら話しはじめる監視員たち・・・(笑)
・・・そして今夜は4人揃った。
昨夜に続いて、それぞれがデジカメを持ち寄っての部屋飲み。
結っちゃんのニューアイテム iBook G4 に取り込んだ後、皆でああだこうだと言いながら苦労してやっと完成したスライドショー。
マイクはもう半分寝息を立てている。
持ち前の明るさとパワーで笑い飛ばしてはいたが、やはり疲れたのだろう。
となると、今夜のいびきが・・・
Phoooh!!
有里知花「広州演唱会」その2
2005-03-17
有里知花「広州演唱会」その2
3月16日(前編)
ホテルの食堂で早速熱烈歓迎の朝食をとった後、バンドに付いてくれた通訳の何明静さんと共に銀行で両替してから校内散策。
今にも崩れそうな古い建物と頑強で近代的な建物、そして緑々とした自然が絶妙なバランスを保ちながら調和する巨大な空間。
地元では公園として認知されているらしく、学生に混じって子供連れや老人たちがのんびりとそれぞれの時間を過ごしている。
その時の流れを引き裂くように時折「原付自転車」が、バタバタとけたたましい音を立てながら我々を追い越して行く。
学生が4万人、先生が1万人。
そして、なんとそのほぼ半数がこの空間に居住しているというのだ。
この事だけで、既に我々の想像の域を十分に逸脱している。
西門そばの池の端にある食堂にて昼食を取る事に。
30分近く待たされた挙げ句空腹なのに食べ切れないほど大量の麺類と格闘している我々の周りでは、所謂一般人民達が老酒を飲みながらけたたましく声高に喋り続けている。
誰一人として黙っている者は居ないと思えるほどのこの喧噪は、やはり今までに体験した事のない独特なものだ。
このパワーでこの人口、そして広大な国土・・・愛すべき、そして恐るべき中華人民共和国!
Phoooh!!
有里知花「広州演唱会」その1
2005-03-17
有里知花「広州演唱会」その1
3月15日
広州新空港にて、生まれて初めての中国大陸に降り立つ。
現地スタッフと合流した後、大量の機材と共にバスへ。
もう真夜中近くだったので全体像は掴めないのだが想像を絶する程の広大な感触が、むせる様な湿気と共に車窓を流れていく。
市街地へ向かう高速道路は途中まで、なんと片側6車線だ!
今日から5日間、名門の国立中山大学キャンパス内にある4星ホテル「中大紫荊園」に滞在する事になっている。
ホテルの前にある売店を無理矢理開けてもらい水とチンタオビールを仕入れ、取りあえずバンド・メンバー3人だけで最初の部屋飲み。
このメンバーで飲むのは一昨年の東北ツアー振りだろうか。
おっと、・・・ベースのマイク・ダンがいない。
実は彼、ビザの関係で入国拒否をくらい、たった一人空港で拘束されているのだ。
これはシャレにならない。
果たして今回の広州ツアー、これから一体どんな珍道中が待っている事やら。
Phoooh!!
電車#3
2005-02-24
電車#3
最近エスカレーターしか無い場所が増えてきた。
人間2人分の幅しかないから、当然の事ながら電車が到着するたびにホームは人で溢れかえることになる。
まるで中性脂肪の多いドロドロの血液が如し。
もちろん完璧なバリアフリーは目指すべきだしエスカレーターやエレベーターの設置も大切だが、たかだかワンフロアを昇り降りする場所でわざわざ階段を撤去する必要などないと思うのだが、どうだろう。
・・・人に優しいという名目でどんどん選択肢が減っていく。
自分のペースで移動する自由が世の中からどんどん奪われていく。
あげくの果てに、お年寄りをかきわけて階段わきの小さなエレベーターを待つ制服姿の小学生。
子供の成人病か・・・
でも、これって笑いごとじゃないでしょ!?
Phoooh!!
写真は、茅ヶ崎で電車を待つ夢弦堂
電車#2
2005-02-13
電車#2
途中から乗って来た20代半ばの男性2人。
1人が大声で話し始める。
「何で地震が新潟なんだよなぁ。スキーにも行けないじゃん。あんなもん、関西の方で起きればいいんだよ。鳥取とか島根とかあの辺でさ。そしたら全然迷惑かからないじゃん。」
「名古屋でもいいんじゃない?」
「いや、名古屋には友達が住んでるからさ、やっぱ鳥取か島根だよ、絶対。だって、あの辺なら誰も困んないじゃん?」
この想像力の欠如は一体何? 電車は悲しい。
Phoooh!!
電車#1
2005-02-13
電車#1
電車で吊革につかまってたら前の席がふたつ空いた。
そこへ5才位の子供が駆け込んで来る。
「お母さん、空いてるよ!」
「○○ちゃん、いいから立ってましょう!」
子供を走らせて席取りする若い母親ばかりが目立つこのご時世で、久々に清々しい気分に。
電車に乗るたびに「子供は立ってなさい」と母親に躾けられた遠い昔を思い出す。
Phoooh!!
写真は荻窪駅の下りホームから見える荻。電車は楽しい。
ファースト・ステップ・・・
2005-01-11
ファースト・ステップ・・・
1月9日
バンドの立ち上げは面白い。
とあるスタジオにメンバー5人が集まり、発起人からやる気と活動方針が示される。
そして、全員の「いいんじゃないですか」の声を合図に近場のアメリカンなレストラン・バーへ。
スパークリング・ワインで乾杯の後テーブルに乗り切らないほどの料理を前に、
「バンド名はどうしよう・・・?」
「アルバム・タイトルは・・・?」
これが面白いようにすぐ決まる。
テーマは宇宙から見た大海原だ。
とにかく強者たちは腰が軽い。
よく飲みよく食べ、そしてよく喋る。
音楽の話はもちろん環太平洋文化から神や戦争の話まで、あっという間の4時間。
曲作り、セッション、録音、根回し、発売、ライブ・・・・
具体的なことはまだ何も始まっていないが、このメンツでこの構想を実現させなけりゃ(私はさておき)日本の音楽シーンの大きな損失だ?!
テキーラ・サーキットとは対極のバンド形態だな、これは・・・(笑)。
Phoooh!!
写真は、お正月に伊豆の伊東で見つけたラーメン屋さん。宮崎の都城にも確か同じ名前の店が・・・・あれはただの「来々」だったかな?(バンドの話とは関係ありません)
少々遅くなりましたが・・・
2005-01-07
少々遅くなりましたが・・・
明けましておめでとうございます。
世の中には地震や津波や戦争でそれどころじゃない人もたくさんいるでしょうが、ラッキーにも楽しく生き延びている私はといえば・・・
今年もマイペースでこの部屋を管理していくつもりですので、どうか皆さんも今まで通りのんびりとお付き合い下さい。
・・・ということで、新春第一弾「ため息月之介」初めです。
昨年12月から始めた「VHS→DVD化計画」の一環で、ここ数日はクラシック以外の音楽ものにトライしている。
とは言っても、もちろん全部見てる時間など到底ないので何かをしている間や睡眠中にハード・ディスクに流し込み、それにCMカットなどの編集を施して焼いていくという実にシンプルかつ非生産的な作業をしているに過ぎないのだが。
ジェームス・テイラー、ジョニ・ミッチェル、チェット・アトキンス、クラプトン、ブルース・ホーンズビー、ストーンズ、パット・メセニー、ラリー・カールトン、ジェフ・ベック、時々ヤクルト・スワローズ・・・・そんな感じで日々延々と作業は続くわけだ。
ところが今日、突然刺激的な出来事が。
思わず流し込みながら、何時間も画面と音に釘付けになってしまったのだ。
その事の初めは「LEGENDS」と題されたアメリカの音楽番組で、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの生い立ちや関係者の証言を集めたドキュメントもの(もう1人はB.B.King)。
そりゃ死ぬわな・・・、そんな「Back to the '70s」な感覚がガッチリと私の心を捕まえてしまった。
そう、昔作ったオリジナル「Marmaladesky」のテーマは、正にこれだった。
続いてのVHSはニューヨークのライブ・ハウスからマイク・スターン/ボブ・バーグ・バンドのギグ。
マイクは、数いるジャズ/フュージョン系ギタリストの中でも特に好きなギタリストだ。
昔大好きだったシカゴのテリー・キャスが今でも生きていたらコンナんかなと思わせてくれるあたり、そして何ていうか・・・とにかくロックなのだ。(デニス・チェンバースの圧倒的なドラミングも凄いの一言!)
そして今流し込んでいるのが・・・遂に出ました、御大フレディ・キング!!
どこかのフェスの古い映像(写真)で音もモノラルなのだが、そんなことはどうでもよくなるような・・・・
・・・今日はこれくらいにしておきます。
正月早々、伊豆温泉三昧~新年会でボケた頭にはチト強力過ぎる3本立てでした。
Phoooh!!!
玉川上水で人生が風に吹かれていた・・・?
2004-12-27
玉川上水で人生が風に吹かれていた・・・?
健康診断の結果、見事に「飲み過ぎ」と「運動不足」を指摘された。
それはそうだろう。
夏頃からジョギングを休んでいたし、ほとんど休肝日なしでビール三昧の日々が続いていたのだから、まあこれは仕方がない。
とは言え決してジョギングを止めたつもりはなく、走りたくなる気持ちが自然発生的に湧いてくるタイミングをのんびりと待っていた訳だから、「これはいいトリガーだ!」「ここぞとばかり!」・・・と、12月8日からまた走り出した。
取りあえずは2キロ半を30分位かけて、のんびり走る。
玉川上水沿いの冬の乾いた風が気持ちいい(写真)。
ただ、息こそ上がらないものの筋力の衰えなのだろう、足がちっとも言うことを聞いてくれない。
膝を痛めるのが一番恐いので、ゆっくりと確実に着地して地面を後ろへ蹴る。
これの連続が実にキツイのだ。
先週あたりからずいぶんと楽にはなったが、今日も60代と思われる男性に軽々と追い越されてしまった。
「いやいやッ・・競争してるんじゃッ・・ないんだからッ・・自分のペースでッ・・ハッハッハッ」
そんなことを自分に言い聞かせながらゆっくりゆっくり、ただひたすら何事もなかったかの如く走る。
それでも心なしか息が乱れてしまうのは一体何故なんだろう?
逆に、自分より遅い人に後から少しずつ近づいて、そしていざ追い越そうとする時のあの嫌な緊張感は一体何なんだろう?
これって、なんだか妙に人生とダブるなぁ。
それにしても、毎日6~8キロ走っていた頃の体力に戻るのはいつになることやら・・・。
Phooo!!!
♪木金土は映画館、夕方、夕方・・・
2004-12-26
♪木金土は映画館、夕方、夕方・・・
12月23日
所沢ミューズまで、小坂忠さんの「クリスマス・イン・ピースコンサート」を聞きに行ってきた。
小ホールの割に天井が高くアコースティックなサウンドには抜群の環境の中、新譜「きみはすばらしい」に収録されたナンバーを中心にたっぷりと2時間。
思いの外年齢層の広いお客さんすべてを包み込むアットホームで暖かい雰囲気は、忠さんの人柄ゆえだろう。
そして何よりも、トークの上手いこと。
流石、ベテランの牧師さんだ。
終演後の打ち上げにも誘って頂き、ゲスト出演していた高野寛君と久々に雑談。
二十歳のころ忠さんの<放浪>や<ゆうがたラブ>をアマチュア・バンドでカバーしていたことを打ち明けると、
「僕も<ゆうがたラブ>をバンドで完コピしたことがあるんだけど、あのグルーブ感がどうしても出せなくってね。今の若いドラマーにはちょっと無理みたい・・・(笑)。」
実は今回の新譜製作にあたっては忠さんから直接オファーがあり、デモMDをもらい2人でセッションするところまでいっていた。
しかし、どうしても私の方でまとまったレコーディングの時間が取れず話はお流れに。
昔のこともあるので個人的には非常に残念だったのだが、結局西海孝君が参加して滅茶苦茶いいCDに仕上がったから、まずは目出たし目出たしというところか。
もちろん、コンサートでも彼はいい仕事してました。
・・・・・それにしても忠さんとは、ギャラの話までしてたんだけどなぁ。
Phoooh!!!
「新宿ブルースナイト」
2004-12-25
「新宿ブルースナイト」
今年で4回目を迎える「「新宿ブルースナイト04」に、冷泉公裕と初めて参加した。
12月16日は、前夜祭を兼ね「番外編」と称した冷泉バンドでのワンマン・ライブ。
河合徹三、丸尾めぐみ全員揃っての演奏は1年振りか。ま、それはそれとして・・・・。
19日は冷泉と2人(ミニマム・ユニット)でのゲスト出演だったのだが、最終日という事もあり17、18日の出演者まで集まったものだから、ただでさえ狭い楽屋はもう上へ下への大混乱。
原田芳雄バンド、Lily & Yuji、中山ラビさん、三上寛さん、恭子バンド。
そしてこの日出演予定のなかった高田渡さん、山崎ハコさん、根岸季衣さん、山谷初男さん・・・・
イベントのタイトル通り一筋縄ではいかない、ゴールデン街で産湯を使ったような個性派ぞろいが酒瓶片手に言いたい放題、やりたい放題なのだからスタッフは戦々恐々だ。
私も寛さんにガブガブッ、ガボガボ~ンと差し入れのバーボンを飲まされて・・・
ところが、最後に全員がステージに上がって大団円を迎えた後フラフラと楽屋に戻り、ふと時計を見上げて驚いた。
予定通りの時間に終演しているではないか!
これはマジック以外の何ものでもない?
否!
実はみんな、どれだけ飲んでもどこかでクールに流れを読んで、しっかり仕事をしていたのだ。
流石、プロフェッショナルなアーティスト達。
伊達に長く続けて来たわけではない。
・・・いつも勉強させられます。
・・・あっ、ちょっと持ち上げ過ぎたかな。
Phoooh!!!
写真は、出番前に「俺は絶対に押すからな。30分なんて、冗談じゃねぇんだよ!」と息巻いてた割にピッタリ時間通り降りて来た三上寛さんと、最近ご愛用のグレッチ。いい色です。
OPA!
2004-11-21
OPA!
柄にもなく照れ屋さんだった。
でも、私の前ではいつも豪快だった。
柄にもなくブラザー・デュオが好きだった。
でも、私の前では一度も歌ってくれたことはなかった。
彼が作ってくれたプリ・アンプは最初から音が出なかった。
電気屋さんだったのに。
でも誰よりも音楽が好きだったし、誰よりも音にうるさかった。
ここ4ヶ月は入院したまま、歩けないので車椅子の生活だったみたいだ・・・
楽しみは入院仲間と屋上に煙草吸いに行くことくらいだったらしい・・・
「葬式も出さず、誰にも連絡せず、骨はどこにでもバラ巻いておけ」だと?!
最後まで強がり言いやがって。
でも・・・そんな所がなんか似てるんだよなぁ。
高田さん、ありがとう。
デルモアに宜しく。
合掌。
写真は、マスピーとの珍しいスリー・ショット。オスマシすると、いつも必ずこういう表情だった。シャイなOPA(Center)との数々の思い出・・・。
Phooh!
釜飯「つる家」@湯河原
2004-11-10
釜飯「つる家」@湯河原
11月7日(日)
鎌倉で沢野ひとしさんの個展を見た後、ラナイのバーテンダーだったU君から以前聞いていた湯河原の釜めしと角煮の店「つる家」へ。
食事時ではなかったが暖簾が掛かっていたので恐る恐る中を覗いてみると、10数人も入れば満席になりそうな小さな店内にはやはり誰も居らず、ひっそりと静まり返っている。
「すいません・・・すいません・・・」
遠慮がちに、何度か声を掛けてみた。
と、奥からニコニコしながらゆっくり出て来たのは割烹着を着た小さな、それでも背筋のピンと伸びたいかにも品のいいお婆ちゃん。
この人か・・・この店をずっと独りで切り盛りしてきたというのは。
黒豆麦茶をすすりながら取りあえず噂の角煮と釜めしを注文すると、ウコッケイと名古屋コーチンのゆで卵を一個ずつサービスで出してくれた。
お婆ちゃんが放し飼いしているんだそうで、それぞれ微妙に味が違う。
これだけ卵が美味しいんだからと、茶わん蒸しも追加。
・・・どれもこれも素朴で角のない、絶妙な味付けだ。
こういうのを究極の家庭料理と言うんだろう。
釜めしの蓋を開けた途端に湯気と共に立ち上るマイタケと御飯と醤油の甘い香り。
大きめに刻まれた油揚げのたっぷり入った、赤出しを少々合わせただろうと思われる熱々の味噌汁。
市販品では絶対に味わえない歯触りの、素朴でいながら深みのある漬け物。
そして豚の角煮は、というと・・・
「この煮汁は何年も使い続けてるんですか?」
「もう33年になるわね。」
「あの・・・これって、味噌も入ってますよね?」
「それは秘密。皆さんが喜んでいらして下さるからまだまだ頑張ろうと思うけど、もういよいよ駄目になったら誰かに教えておこうかしらね。」
足を骨折して入院させられそうになった時も「病院の味になってしまうのが嫌だから」とたった独り自宅で療養・完治させたという気丈なお婆ちゃんは、来年喜寿を迎える。
美しく年齢を重ねるということ・・・。
Phoooh!!
またまた
2004-11-04
またまた
どうやらブッシュのようで・・・
ところで今日ニュースで聞いたんですが、アメリカ人のパスポート保有率って、たったの14パーセントなんだって?!
これは思いの外低いな。
内向きのアメリカを象徴してる数字とも言える。
きっと、いまだにHONDAやSONYはUSAの会社だと思ってる人がたくさんいるんだろうな。
世界中に多種多様な生き方をしている人たちがいて、それぞれのやり方でみんなが幸せを追求しているなんてことは考えてもみないんだろうな。
当然、「信仰の自由」なんて概念は、これっぽっちも持ち合わせていないんだろうな。
おかげ様で、この情けない日本には「信仰しない自由」もあるというのに!
なんという世界観の貧困さ・・・
でも、それが正義だと思い込んで、地球上すべてをアメリカにしようと鉄拳を振るう。
自らを疑ってみる感性の欠如・・・
この際ブッシュでもケリーでもどうでもいい、と開き直ってしまいましょう。
たかが、そんな「アメリカ」の大統領のことですから。
Phooh!!
ゴールデンイーグルスをぶっ飛ばせ!?
2004-11-04
ゴールデンイーグルスをぶっ飛ばせ!?
10月30日(土)、31日(日)
イーグルス東京公演とモロにバッティングした佐藤博2Days@Blue Jay Wayは、初日からステージの狭さとの戦いだった。下手は佐藤さんのG.ピアノ、シンセ、ローズがほぼ3分の2を占め、そのうしろのスペースにベースのマイク・ダンさんとギターの今剛さん(2人共アンプもデカイが身体はもっとデカイ!)。上手には渡嘉敷祐一さんのドラムセットと、その前に私がチョコんと座るといった感じだ。で、客席はというと・・・
雨ニモ負ケズいーぐるすニモ負ケズ、週末ノ原宿ニモ負ケナイ強イ心ヲ持ッタお客さんで超満員。震災の新潟から山形経由で7時間かけて辿り着いたという人も。佐藤さんの吸引力に改めて脱帽!
正直なところ佐藤さんの曲の(普段の私にとっては)複雑怪奇なコード進行と指定されたコーラスの多さに、本番2週間位前まではまったく歯が立たないでいた。ほとんど途方に暮れていた。それでも、佐藤さんの頭の中で私のアコギとコーラスの両方が不可欠なイメージとしてはっきりと鳴っていることは会う毎に、音を出す毎に手に取るように伝わってくる。必要とされている嬉しさと両立できない歯痒さと、悔しさと・・・。
しかし千本ノックと居残り特打、そして久々の自主トレのおかげか、全員で音を出すのは本番初日が初めてという過酷な状況の中で少しも気後れする事なく、思いのほかリラックスしてプレイを楽しむことができた。本番で初めて解釈でき自由になれた曲がいくつもあったし、コーラスしながら改めて歌詞を噛みしめジンとする余裕もあった。もちろん得意のミスは、毎度のことながら山の数ほど。全員が何となく噛み合わない場面ややり取りの行き違いもいくつかはあったが、それはそれ。そんなことよりも、個人的にこんな達成感を味わったのはいったい何十年振りのことだろう・・・という体験のほうが私には貴重だ。
・・・「いいライブだったなぁ」という経験は今まで何百回もしている。でも、今回は明らかにそれとは違う充実感。・・・佐藤さん、メンバー、スタッフのみんな、ありがとう!
Phoooh!!
写真・・・渡嘉敷さんは同い年。しかも誕生日が一週間違いで煙草はハイライト。今さんは、ギターを持つとテロリスト。やられっ放しでした・・・。
ロッキートップ
マスター田口と・・・?!
2004-10-22
マスター田口と・・・?!
10月20日(水)
今日は有里知花ソロ・ライブ@Blue Jay Wayの最終リハーサル。
本人は風邪の気配を感じていた為大事を取ってほとんど声を出さず、若干のアレンジ変更も含めたプレイとコーラスの確認に終始したのだが、メンバー全員が、いつも如何にボーカリストに依存して演奏しているのかを再認識してトホホッ。
今回参加できないベースのマイク・ダンに代わって急遽お願いした那須野満君(相馬裕子さんのサポートで何年か前に知り合った)は、リハ3日目にしてすっかりバンドに溶け込んでる感じだ。
曲も少しずつ体に入ってきたようで、無理矢理頼んだらコーラスにも喜んで参加してくれた。
ただ、個人的にはガット・ギターを弾くシーンがあったり1カポ-Aを3カポ-Gに変更した曲があったりでなかなか全体のサウンドを把握する余裕がなく、何から何まで他のメンバーに助けられっぱなしだった。
それでもイヤな顔もせず着いて来てくれたみんなに感謝!
リハ終了後楽器を車に積み込もうとしたら、もう外はドシャブリの雨。
どうやら台風23号「トカゲ」の野郎がやって来たようだ。
そのまま夜はロッキートップでテキーラ・サーキットのライブだというのに。
・・・9日のケセラに続いて、またですか?! どんだけ?!
でも、夜中のジャムセッションは楽しかった。
無責任はコンフォータブル。
久しぶりに訪れた息抜きの時間でした。(Photo by 梅ちゃん)
Phoooh!!!
??コンコン??
2004-10-15
??コンコン??
今夜も、佐藤博さんのプライベート・スタジオで2曲ギターを弾いてきた。
着いて早々弦を張り替えていると、いきなり
「僕のHPの日記、見た?」
と聞く。
「いえ、まだ・・・」
と答えると、
「今回のメンバーの紹介を始めたんだけど、とりあえず最初は奥沢君なんだよね。」
と言ってニンマリしている。
この人、一体何を書いたんだろう?
チューニングを終えてソファーから立ち上がると、待ってましたとばかりHPを立ち上げて手招きをする・・・・
オ~~ッと、なんてこったッ!!
・・・画像で遊んでいやがる。
・・・人の写真をオモチャにしていやがる。
・・・よりによってアノ写真だ。
・・・なんで俺がハトにコンコンされてんだ?
佐藤さんッ!!
そんな事してる時間があったら練習しなさい。
新曲を早く仕上げなさい。
もう2週間しかないんだから。
人にはさんざん千本ノックや居残り特打をさせといて・・・
Phoooh!!
地獄の千本ノック・・・?
2004-10-07
地獄の千本ノック・・・?
昨日、今日は月末の佐藤博さんライブ@Blue Jay Way 2Daysに向けて、フル・メンバー揃ってのリハーサル。
場所は佐藤さんのご自宅にあるレコーディング・スタジオで、スペースの都合上ドラムは打ち込み。
全員ヘッドフォンでモニターしながらの、ごまかしがきかないシビアな作業が延々と続いた。
時々愛犬ハッピーとラッキーが覗きにくる中を、渡嘉敷祐一さんはソファーに座って時々目を瞑りながらのシャドウ・ドラミング。
今剛さんは巨体をゆったりと横揺れさせながらラインで御機嫌なEG。
マイク・ダンさんは相変わらず大地の様なベースとコーラス。
佐藤さん本人はシーケンサーを操りながらVocalとKeyboardとアレンジの確認。
2日で全17曲、1曲ごとに何度かセッションをくり返した後デジパフォにレコーディングしていくという作業だ。
アーティスティックに集中する佐藤さんから、メンバーに次々と指示が出る。
それに対して的確に反応する強者たち。
そんな中で私はというと・・・
コーラスをすればギターが弾けず、ギターに集中すれば声が出ないという悲惨な状況が続く。
歯痒い思いを引きづりながら、それでも容赦なく次曲へと進行していく過酷な状況。
あと3週間か・・・。
でもそんな不安より、このメンバーと一緒にライブができる楽しみの方が数百倍も大きいのは事実。
帰りの車の中で全開の窓から吹き込む秋風を心地よく浴びながら、すでにライブ後のビールを楽しみにしているオプティミストな自分を再発見してニンマリ。
あらゆる意味で実に貴重な2日間だった。
ところで佐藤さんはタバコを(今は)吸わない。
当然ながらスタジオを含めて屋内は禁煙だ。
でもバンドのメンバーは全員スモーカー。
だから雨が降ろうが槍が降ろうが休憩時間にはみんなで一斉に靴を履いて外に出るのだが、玄関先でモクモクと煙を吐き出す4人のミュージシャン達は、近所の人たちの目に一体どう映っていたんだろう・・・。
Phoooh!!
写真は、お疲れ様のワンショット(photo by miholin)。佐藤博さんのサイトには、メンバーのスライド・ショウなどが続々とアップされています。よかったら、そちらも御覧下さい。
華氏911
2004-09-08
華氏911
モンチッチのようなブッシュが悲しい。
それを支持する合衆国の半数の人たちが悲しい。
ゲーム感覚で民間人を撃ちまくる若い米兵が悲しい。
貧困から子供を軍隊に送る合衆国の母親が悲しい。
5回も葬式を出したイラクの母親が悲しい。
CGでも特殊メイクでもない悲惨な子供たちが悲しい。
モンチッチの言うなりで戦争に加担する小泉が悲しい。
他に人材のいないこの国の政治家たちが悲しい。
彼等を選んだこの国の民が悲しい。
でも・・・、
この映画をエンターテイメントとして観て欲しいと言ってしまえるマイケル・ムーアがもっと悲しい。
Phoooh!!
おでんとプールと懸垂と・・・
2004-08-19
おでんとプールと懸垂と・・・
8月19日
地獄のようなふた月が終わり、昨日・今日・明日はやっと何もしなくていい3連休。
あまり天気がいいので、チャリで市営の萩山プールまで泳ぎに行ってきた。
もともとジョギングを始めたのも、数年前にたまたま泳ぐ機会があって、その時の疲労感がたまらなく気持ちよかったからなのだが、泳ぐのと走るのとでは疲労感の質が全く違う事を今日改めて実感。
これには、ちょっとハマりそうな感じ。
明日も行こう!
そういえばモノを書く仕事をしていた20数年前、毎日のようにカツ丼とラーメンを出前で取るような自堕落な生活をしていたおかげで72Kgまで体が腫れ上がり、これじゃまずいと意を決して近所の井の頭公園プールに泳ぎに行っていた頃の事を思い出した。
今はもうなくなってしまったが湧き水を使った、それはそれは冷たいプールだった。
帰りに、唇を真っ青にして公園の売店で食べるおでんとビールのおいしかったこと。
それじゃ何にもならないんだけどね。
やはりその頃、夜中にこっそり公園の鉄棒まで行って懸垂で上半身を鍛えようとしたら、重力に耐えきれず、なんと2秒で落ちた・・・・。
Phoooh!!
~mellow night~
2004-08-18
~mellow night~
8月8~9日
有里知花初の2Daysは、おかげ様で両日とも大入り満員。
立見も出て場内整理はてんやわんや。
ありがたい事だ。
今回は、いつもの有里知花ワールドに加えて更に「LOVE & PEACE」なメッセージを前面に押し出した演出もあり、個人的に大好きなテイストのライブになった。
特に、ポエトリー・リーディング~訳詞の朗読で始まるボブ・マーリーの「No Woman No Cry」の、言葉とアコースティックなサウンドが織り成すピュアな精神世界は、横でギターを弾いていて本当に涙が出そうに。
たまたま9日が「長崎」と重なっていたという事もあるが、世代を超えて平和への願いを発信する場所を与えてくれた知花ちゃんやスタッフ関係各位、バンドのメンバーに感謝だ。
他のメンバーも、それぞれ別の曲(この辺は世代の違いか?!)で涙をこらえていたらしい。
ところで日本語のカバー曲、サザンの「シャララ」では私が桑田氏のパートを担当。
生まれて初めて人前で、しかも仕事で歌うサザン、・・・今回一番緊張した場面かな。
この曲ではベースのマイク・ダンが、やはり生まれて初めて日本語で歌うという貴重なシーンも。
歌詞は「雪になりそな Merry merry merry Christmas, Amen」。
あれっ?・・・なんだ、日本語は「雪になりそな」だけじゃん!
Phoooh!!!
写真は、初日終了後の「近未来」な月之介とマイク?
月之介「修行の旅日記」(その10)
2004-08-13
月之介「修行の旅日記」(その10)
6月21日
5:45起床。7:00ホテルのロビー集合。
バンクーバーからシアトルまでは、定員30人程のプロペラ機だ。
思わず筒井康隆の熊五郎航空を思い出す。
シアトルでは、やはり厳重な入国審査。
靴まで脱がされる。
2時間のトランジット待ち時間に空港内を歩き回り喫煙エリアを探すが、どこにも見つからない。
結局一人で一度外に出て、遂にタクシー乗り場で大量の灰皿を発見。
ポリスマンが駐禁切符を片手に歩き回るのを眺めながら、のんびりと一服。
何処も同じ、苦々しい光景だ。・・・
・・・「スケジュールに余裕があったらマリナーズの試合くらい見たかったね」
Dちゃんとそんな話をしながら成田行きに搭乗。
顔を見ればすぐに分かる、飛鳥に「絶対にもう一度乗りたい組」と「できればもう乗りたくない組」。
仲間を観察する旅でもあったし、もちろん私も仲間に観察された。
色々な思いが疲れた頭の中をグルグル回る。
舌を刺すような塩っぱいおつまみにビールが美味しい。
DちゃんのPCから漏れてくるデジタルなノイズを聴きながら、いつのまにか深い眠りに。
360°水平線の景色の中でギターの弦を取り替えるシュールな夢。
そして、妙に心地いい目覚め。
ウワァ~!
それにしても台風の去った日本は暑い。
またモンスーン地帯での忙しい日常が続くのか?!
リド・デッキが、すでに懐かしい。(おわり)
月之介「修行の旅日記」(その9)
2004-08-13
月之介「修行の旅日記」(その9)
6月20日
8:00ヴィクトリア入港。
朝食後、バスで町まで出かける。
ブリティッシュ・コロンビアの州都ヴィクトリアは、古き良き時代の英国文化を色濃くの残す観光都市だ。
いたる所にトーテンポールが立っている。
海沿いの小道を、フィッシャーマンズ・ワーフまでのんびりと散歩。
強い陽射しを浴びた水上飛行機やヨットがまぶしい。
午後は海峡を北へ向かってクルーズ。
結局クジラにもイルカにも一度も出会えなかった。
18:30バンクーバー入港。
いよいよ飛鳥ともお別れだ。
ディナーの後チェックアウトを終えて、つのだ組、デビッドと共に下船。
お客さんやスタッフが手を振って見送ってくれる。
たったの9日間のことだったが、船という閉ざされた空間を共有した沢山の仲間との別れは、やはり何か特別なものがある。
彼等のクルージングは、アラスカへ向けてまだまだ続く。
羨ましい。・・・
・・・「日出5:14、日没21:22」
いつまでたっても明るいバンクーバーの町。
トロリーバスと坂の町・・・
写真は、ネイティヴな人達が出しているフリーマーケットで見つけた太鼓。
月之介「修行の旅日記」(その8)
2004-08-13
月之介「修行の旅日記」(その8)
6月19日
6:30起床。
7:00から一番で朝食。
フォーシーズン・ダイニング・ルームの入り口に毎食ごとに張り出されるメニューを見ると「厚焼き卵、金平牛蒡、しずの開き干し火取り、玉葱と豆腐の味噌汁、香の物、焼き海苔、ご飯又はお粥、納豆、塩辛」とある。
朝ご飯党には嬉しい日替わりメニューだ。
外は濃霧。
海がほとんど見えない。
でもそれはそれで、ものすごい光景だ。
海水温より気温の方が低いためらしく、気温が上がれば晴れるというキャプテンのアナウンス。
11:00、霧が晴れたのでジョギング。
珍しくiPodを聞きながらウォーキングしているMちゃんを発見。
彼はこの旅の為に5000曲入れてきた。
シャッフル・プレイが楽しいらしい。・・・
・・・「こんなに毎日喰っちゃ寝、喰っちゃ寝でいいんですかね」
「いやいや、どこまでいっても不足はあるもんで」
喫煙クラブでのお客さん同士の会話だ。
間食こそ一度も採っていないが、毎日3食しっかり食べている。
今日は洗濯と荷造りと、そして船内探検!・・・
月之介「修行の旅日記」(その7)
2004-08-13
月之介「修行の旅日記」(その7)
6月18日
・・・今日も貨物船とすれ違った。
どこの船だろう。・・・
・・・今夜はインフォーマルのディナー。
部屋単位や個人で行動することが多く、普段は時々すれ違うだけだったりするので、Y君、Mちゃんも誘ってHさん一家と合流。
バンド全員(7人)そろっての食事は久しぶりだ。
食後は私だけ、いつもの喫煙所でいつもの面々との雑談。
いつの間にやら「喫煙クラブ」という10数人の集いが形成されていて、そこでの毎食後30分程のバカ話が、たまらなく可笑しい。
メンバー構成はお客さん5~6人とエンターティナー組から3~4人。
22:00、同室のDちゃんがジャグラーのデビッド・エイケン、つのだ組、Cちゃん、Hさん、Y君参加の「原沢杯争奪」卓球大会に出かけたので、その間に日記の整理と荷物の仕分け。
卓球は浴衣じゃないと。
それにしても日焼けした背中がかゆい。・・・
月之介「修行の旅日記」(その6)
2004-07-31
月之介「修行の旅日記」(その6)
6月17日
グランド・スパのスチーム・バスで一汗かいて全身半ヤケド状態の体をそおっと拭いていると、Y君が入ってきて
「貨物船とすれ違ったの、見た?」
・・・航海に出て初めての人の気配。
慌てて第7デッキに出てみるが、見えるのは水平線の彼方へ消えてゆく小さな黒い点だけだ。
なんだか、必死に手を振っているのに発見されず取り残された遭難者の気分。・・・
・・・14:30~15:00、ビスタ・ラウンジの「アメリカン・ティー・タイム」でケビンのピアノ生演奏を聞く。
Georgia On My Mind、Sting、Old Kentucky Home、Basing Street Blues・・・
・・・夕食はリド・デッキでの「アメリカン・デッキ・ディナー」。
インディアンに扮装するスタッフ、潮風を浴びながらの美味しいビュッフェ、いくつかのアトラクションとカントリー・ダンス。
船はいつの間にやら夕日を追いかけるように、西に向かって航行している。
担当スタッフ梅ちゃん曰く、外でのイベントの為に行く手の低気圧を避けていたんだそうだ。恐るべし豪華客船!